凸凹さんはグラデーション

凸凹の強弱

「凸凹さんはグラデーション」だとかかりつけの心療内科の先生に教えていただきました。今回はその話。

昔は違った

昔は、定型発達者と非定型発達者の区別が明確にされていました。その区別のラインは教師や医師によって判断され、非定型発達者と判断すれば養護学級に転校することに。そして、一度そうと判断されると定型発達者の学級には戻ってこれない。

僕の出身が田舎だったからそういう制度だったのかもしれませんが、クラスメイトにも、近所にもそんな子がいました。

現在の制度はというと。非定型発達者の為のクラスが同じ学校の中に設けられ、発育のステージ毎に様子を確認し、それ次第で定型発達者のクラスに戻る。

完全に戻れなくても、一定の時間はみんな一つのクラスで過ごす。そうして、互いの理解を深めていく。そんな体制になっているようです。僕には娘が2人いますが、2人とも定型発達者枠。そして、僕が小さい頃に比べてよっぽど非定型発達者に対する理解が深いです。自分のような凹凸さんにとっては暮らしやすい時代が来るのではないかと思います。

僕か出会ってきた凹凸さん

実際、僕の周りにも凹凸さんはたくさんいます。一番身近なのは父親です。

昔から、白か黒かはっきりしないと気がすまない性格でした。家の外に出る時は笑顔で優しい性格でしたが、家の中では布団の中に引きこもっていて、自分に気に食わないことがあると衝動的に怒る。頑張って外でカモフラージュしていて、家に帰ってくると疲れに出てたんでしょうね。

職場にもいます。彼は自分が凹凸さんだということを気づいています。そして、カモフラージュをしません。彼は自分を認め、自分を肯定し、その上で他人も肯定して差を楽しむ事で人生を謳歌しています。彼は僕の先輩にあたりますが、その達観したレベルに達するにはかなりの時間と苦しみ、そして乗り越える力を要した様です。

また、職場には別の凹凸さんもいます。その人は自分が凹凸さんであることは知っているものの、元々振り切っており、周囲と特性的に全く合わない事を幼少期から体験しており、周囲に合わせることをしませんし、周囲に期待もしていません。自分の好きなことだけをやって人生を楽しもうとしています。

他にも、よくよく見れば身近にいっぱいいる。それが凹凸さんです。

非定型発達の度合いがきついから辛い訳では無い

かかりつけの先生に、『僕は非定型発達の度合いが低いから、幸せな方ですね』と言ったことがあります。先生は悲しそうに否定しました。

『振り切った凹凸さんは、自分が凹凸さんであることすら気づかない。周りとの齟齬があることも気づかない。それは、本人にとっては幸せかもしれません。

逆に、一松さんのように中途半端に凹凸でカモフラージュに人生の労力の半分を注いでしまう人の方が、苦しいのかもしれません。』

そうおっしゃいました。

確かに、ブッダも言ってます。『煩悩があるから。苦しみが生まれる。』

人それぞれに辛いポイントがあり、それは比較できない。凹凸の強弱も境目があるわけではなく、むしろ定型発達者との境目もなくて、皆がそれぞれその立場で何かしらの困り事を持っている。そういう意味では、公平ですね。

※なお、僕は宗教を勧めるつもりはないです。ただ、原始仏教が面白くて好きなだけです。

まとめ

ひとくくりに凹凸さんと言っても、定型発達者からの乖離度合いで困るポイントは全くと言っていいほど変わります。

それは、定型発達者でも人生に迷うのと同じ様無ものだと思っています。

定型発達だから。非定型発達だから。そんな一括りには出来ない。だからグラデーションで説明されるのです。

(上記は当人にとってのという意味合いです。周囲の人には、また別の弊害が発生します。それは別の機会にでもご紹介します。)

タイトルとURLをコピーしました