はじめに
こんにちは。一松です。ごく普通のサラリーマンです。役職はいわゆる中間管理職。
ただ一つ、多くの人と少し違うのは、僕が『ASD(自閉スペクトラム症)』の当事者であるということです。医師からの診断書も、障害者手帳も持っています。
しかし、僕は障害者雇用枠ではなく、一般の雇用枠で働いています。今回は、そんな僕が日々感じている「疲労」と「ASD特性」の関係、そしてそれによって起こる出来事と、自分なりの向き合い方についてお話ししたいと思います。
日常の「カモフラージュ」という努力
ASDの特性として、コミュニケーションや対人関係において独特のパターンを持つことがあります。「空気を読む」といった暗黙の了解を自然に理解するのが難しかったり、興味の偏りがあったり。
会社員として、特に中間管理職として働く上で、これらの特性がそのまま出てしまうと、業務や人間関係に支障をきたす可能性があります。そのため、僕は日々、『意識的に周囲に合わせる「カモフラージュ」』をしています。
周りの人の話し方、表情、場の雰囲気を観察し、「普通」と思われるであろう言動をシミュレーションして実行する。幸いなことに、部下や同僚、時には上司から相談を受けることもあり、今のところ、ある程度は周囲に溶け込めているのかな、と感じています。(もちろん、これは僕の主観なので、周りの評価は違うかもしれませんが…)
疲労が限界を超えると、仮面は剥がれる
このカモフラージュ、実は非常にエネルギーを消費します。常に気を張り、頭をフル回転させている状態です。
そして、僕の場合、数週間ほど業務やストレスが続くと、蓄積された疲労が限界を超えます。そうなると、カモフラージュを維持する余力がなくなってしまうのです。
その結果、どうなるか。
- 思ったことを、そのままストレートに口にしてしまう。
- 相手の意図や感情の機微を読み取れなくなる。
- 場の空気を無視した発言をしてしまう。
まさに、「素」の自分が出てきてしまう感覚です。
「やっちゃった…」後悔と反省のループ
問題なのは、疲労困憊でカモフラージュができていない時、自分自身ではその状況に気づけないことが多い、という点です。その瞬間は、それが普通だと思って行動してしまっています。
そして、数週間が経ち、少しずつ心身のエネルギーが回復してくると、冷静さを取り戻します。すると、疲労していた時の自分の言動がフラッシュバックのように思い出されるのです。
「あぁ、あの時のあの発言、完全に空気読めてなかったな…」
「あの人が本当に伝えたかったのは、そういうことじゃなかったんだろうな…」
「周りの人に、気を遣わせてしまっただろうな。申し訳ない…」
自己嫌悪と反省の念に駆られます。
具体例:疲労時のプロジェクト推進
例えば最近あった事例。プロジェクトリーダーを任されている時のこと。事前に決まった方針に沿って、プロジェクトを力強く推進するのは得意な方だと思います。
しかし、プロジェクトには予期せぬ事態がつきもの。時には、自分たちの部署だけでは判断できず、さらに上位層の判断や方針転換が必要になることもあります。
疲れていない時の僕であれば、状況の変化を察知し、一旦プロジェクトの進行にやんわりとブレーキをかけつつ、新しい方針にスムーズに対応できるよう、水面下で準備を進めるでしょう。
しかし、疲労がピークに達している時の僕は、その「やんわりブレーキ」が踏めません。上位からの明確な指示が出るまで、当初の方針通りに全力で突き進もうとしてしまう。周りが「このまま進むのはマズいのでは?」と感じていても、そのサインを読み取れず、あるいは「決まったことだから」と突っ走ってしまうのです。
その結果、いざ方針転換の指示が出た時には、すでに進みすぎていて急には止まれない。無理な軌道修正が必要になり、関係部署に余計な負担をかけたり、プロジェクトに不具合が生じたり、痛い目を見る人が出てしまうことも少なくありません。
「ああ、疲れてさえいなければ、もっと上手く立ち回れたのに…」と、後になって強く後悔します。
「仕方ない」と「ごめんなさい」の間で
この「疲労によるカモフラージュの破綻」と「その後の後悔」は、僕にとって周期的に繰り返されるパターンです。
もちろん、反省はします。周りに迷惑をかけたことへの申し訳なさも感じています。
でも、一方でこうも思うのです。
「これが僕の特性なのだから、ある程度は仕方ないのかもしれない」と。
もちろん、開き直るわけではありません。改善できる努力は続けたい。でも、疲労という生理的な要因が絡む以上、完全になくすことは難しいのかもしれません。
だから、自分にこう言い聞かせています。
「反省はする。でも、これも自分の一部。もし本当に問題が大きくなれば、上司が異動や評価。もしかすると辞職勧告等で何らかのアクションを起こすだろう。なるようにしかならないさ」と。
これは、責任を放棄しているわけではありません。自分ではコントロールしきれない部分があることを認め、過剰な自己否定に陥らないようにするための、自分なりの防衛策のようなものです。
この記事を読んで、不快に思われた方もいるかもしれません。特に、僕の周りで働いてくださっている方々には、改めて心の中で「いつもご迷惑をおかけして、すみません」と伝えたいです。
もし、あなたの周りにも、時折「ん?」と感じるコミュニケーションを取る人がいたら、その人も、もしかしたら見えない部分で、疲労や、あるいは何らかの特性と戦っているのかもしれません。
僕自身、これからも試行錯誤しながら、自分なりの働き方を模索していくつもりです